歴史を感じさせてくれる寺。紅葉がきれいで 秋に是非訪れてみるべきである。
   
 
   海蔵寺

鎌倉時代、七堂伽藍を持つ規模の大きい寺であったと伝えられま  すが、鎌倉幕府滅亡時に消失し、その後、応永元年(1394)に鎌倉 公方足利氏密の命で、上杉氏定が心昭空外を招いて再建され、扇 が谷上杉氏の保護を受けて栄えました。・(中略)・鎌倉時代の遺跡 である「十六の井」もあり、水の寺と言われています。
   
   
   底脱の井(そこぬけのい)。山門の手前右手にあります。中世の武将である安達泰盛の娘・千代能がここに水を汲みにきた時、水桶の底がすっぽりと抜けたことからこの名がついたと伝わります。鎌倉十井の一つ「千代能がいただく桶の底脱けて、水たまらねば月も宿らず」とうたったことから、この名がついたと言われています。井戸の底ではなく、心の底が抜けて、わだかまりが解け、悟りが開けたという歌だそうです。
 
山門
 
                     鐘楼 
   竜護殿(本堂)
 
 
本堂の扁額

 仏殿

   仏殿           
 海蔵寺ご本尊(薬師如来)を祀る。仏殿は安永5年(1776)に浄智寺か
 ら移築されたもの。両脇侍に日光菩薩、月光菩薩を祀ります。薬師如
 来の胸に扉があり、胎内に土中から発掘されたという古い仏面を納め
 ています。


 庫裡
 
 

十六の井戸
   
    岩窟内部正面の壁面には、観音菩薩像が安置されている。 この
 像は、1446年(文政6年)に安置された石像といわれ、その以前ま
 では青銅製の観音菩薩像が安置されていたという。
 観音菩薩像の下に置かれているのは弘法大師像。


 16の穴について、『扇谷山海蔵略寺縁起』には、開山が観世音菩薩
 のお告げによって井戸を掘り出し、その時に観音菩薩像も出てきた
 と伝えている。
 一方で、弘法大師が掘ったもので、仏に奉納する水を汲んだ井戸で
 あるとする伝説も残されている。

   
   
 
 copyright©2022:yoshitoworld; all rights reserved