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妙本寺のある谷戸は、現在は比企谷(ひきがやつ)と呼ばれ、鎌倉時代には比企能員一族の屋敷があった。比企能員は、源頼朝に仕えた御家人で、頼朝の乳母・比企尼の養子にあたり、妻は源頼家の乳母、娘の若狭局は頼家の妻となり頼家の子・一幡を生むなど、源氏とは深い関係を持った。1203年(建仁3年)頼家が病気で倒れると、次の将軍を誰にするかで、千幡(後の源実朝)を推す北条氏と、若狭局が生んだ一幡を推す比企氏の間で争いが起きた。能員は頼家と北条氏討伐を謀るが察知され、名越で殺害され、比企一族は比企谷の谷戸(小御所)に篭って北条氏らの軍勢と戦うが敗れ、屋敷に火を放って自害した(比企能員の変)。若狭局は、池(蛇苦止の池)に身を投げて自害し、一幡も戦火の中で死んだ。1253年(建長5年)能本(能員の末子)は日蓮に帰依する。1260年(文応元年)能本は菩提を弔うため、日蓮に屋敷を献上し法華堂を建立する。これが、妙本寺の前身である。 (Wikipedia、他より引用) |
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総門  |
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二天門  |
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阿形・毘沙門天(北方の守護神) |
吽形・持国天(東方の守護神)
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二頭の龍の浮彫  |
復元されたもの
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祖師堂 |
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本堂
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若狭局を祀る蛇苦止堂 |
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日蓮上人の銅像i
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永代供養塔の「永縁廟」
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厨子内に祀られた日蓮上人の像 |
祖師堂には、宗祖・日蓮、二世・日朗、三世・日輪が祀られています。奥に見える厨子内に祀られた日蓮上人の像は、日蓮上人の近くに常に使えていた日法上人の作とされ、池上・本門寺および身延山久遠寺の日蓮上人の像と同じ一本の木から彫り上げられたと云われています(「一木三体像」) |
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