始皇帝陵(驪山陵)の存在は『史記』や『漢書』 など、古代中国の歴史書に記されていた。1974年3月29日、臨潼県西揚村の住民6人が村の南に井戸を掘ろうとして土を掘っていた際に、住民のひとりによって兵馬俑の最初の破片が発見された。現在までに約8000体の俑が確認されている。 古代の中国では王の墓に殉死した臣下や侍女を葬る風習があった。始皇帝は本物の人間を殉葬するのではなく、人間をかたどった焼き物を埋めたという。兵馬俑の「俑」は「木や陶器で作られた副葬するための人形」を意味する。しかし実際は活人俑が始皇帝陵の兵馬俑には多数含まれていたという。活人俑とは人間の死体をガーゼのような薄い布でくるみ、その上から粘土を塗る。そのまま窯で焼くと中に死体が詰まった陶器の像ができる。この像に彩色したものだ。このような説明はここ兵馬俑博物館にはない。真偽のほどは知らないが、ここの展示物の規模には圧倒される。


   
   
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