涅槃堂を訪ねた朝は珍しく霧が立ちこめていた。下の写真と動画にあるように、質素な作りの
    堂の中に、釈迦像が安置されていた
5世紀の銘のある涅槃像、大涅槃寺の銘のある古泥印、涅槃塔から銅板が出土したことからこの地が涅槃の地とされる。周囲には後世の僧院遺構がある。
この地は当時沙羅の林だった。故郷を目指して北上していたお釈迦様もついにこの地で動けなくなり、娑羅双樹の下で頭を北に向け右脇を下につけて入滅したという。
ホテル
涅槃堂
娑羅双樹
釈尊は入滅を前にして、アーナンダたちに次のように語っています。

「アーナンダよ、おまえたちは次のように思うかもしれない。“教えを説かれた師は去ってしまわれた。われわれの師はおられない”と。しかしそれをそのように見なしてはいけない 。アーナンダよ、私が説いた教え、制定した戒律、それらが私の死後、おまえたちの師である。」
そのように弟子たちの動揺を静めた後、さらに釈尊は
「アーナンダよ、悲しむな、嘆くな。私は、前もって言ったではないか。“すべての愛しいもの、好ましいものと分れ、離れ、別になる”と。生じたもの、因縁によって作られたもの、破壊されるべきものが破壊されないような道理があり得ようか。」
と語り、そして、自らの最後の言葉として弟子たち全員に「比丘たちよ、今こそおまえたちに告げよう。諸行は滅びゆく。怠ることなく努めよ。」と言い残したのです。
「諸行」とは、因縁によって作られたすべてのもの、すなわちすべての現象や存在のことです。そして、それらは必ず滅びゆく、無常なものです。
釈尊の侍者アーナンダ
ラーマバール・ストゥーパ(荼毘所跡)
葬儀は当地のマッラ族によって行われた。遺体には幾重にも布が掛けられ、舞踊、歌謡、奏楽、香をもって6日間供養された。7日目、摩訶迦葉(マハー・カーシャパ)の到着を待って、マクタバンダナ・チャイトヤ(天冠寺)にて香木によって火葬された
釈迦の遺骨(sarira 舎利)は八分割され、八基のストゥーパが建立された。およそ100年後、インドを統一したアショーカ王によって舎利は更に分割されインド全土にストゥーパ(仏舎利塔)が建立され、仏教が全インドに弘まる大きな糸口となる。
NHK BSで放送された【21世紀仏教への旅】第一集 ブッダ最期の旅(作家の五木寛之が道程をたどる)の中に登場した歌姫?下のYoutube動画



【21世紀仏教への旅】第一集 ブッダ最期の旅 インド
copyright©2022:yoshitoworld; all rights reserved

nhk_bs.htmlへのリンク