釈迦が『観無量寿経』や『法華経』を説いたとされる山として知られる。
この山は長らくの間、場所も忘れられていたが、1903年(明治36年)1月14日朝、大谷光瑞が率いる第1次大谷探検隊が朝日に照らされたこの山を仏典上の霊鷲山と同一と確定した。
 
早朝5時過ぎのバスで霊鷲山の麓に向かう
ラトナギリ(多宝山)の山腹にある小高い丘の山頂にある。
レンガ造りの土台だけが残る祠堂(香室)跡がある。お釈迦さまは、晩年に、好んでここに逗留され、しばしば説教をされた
山頂近くには、洞穴が二箇所あり、お釈迦さまの弟子である阿難(あなん)がここに籠もって瞑想していたという。
この道は、ビンビサーラ王がお釈迦さまに会いに行くために整備した道であり、現在では、日本の信者の協力により幅2mほどの階段状の舗装道路となっている。
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