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唐の第三皇帝 高宗が亡くなった母の慈恩を追慕してこて建立された寺。西安市街地の郊外にある。現在の慈恩寺の大きさは当時の十分の一しかなく、当時の建物は大雁塔だけで あとは明時代以降に建立されたもの。大雁塔は玄奘三蔵がインドから持ち帰った多くの経典や仏像を時の皇帝高宗に申し出て、この寺を保存場所として西暦652年に建てられたものである。現在、境内には玄奘三蔵院が建てられ三蔵法師を祀っている。 |
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![]() 日本にあるゆかりの寺院 |
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玄奘三蔵院 | |||||||||||||
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玄奘三蔵像 | |||||||||||||
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般若堂 | |||||||||||||
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大雁塔 | |||||||||||||
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三蔵法師と日本のゆかりの地 | ||||||||||||||
昭和17年12月、第二次世界大戦のさなか、南京を占領していた日本軍が、丘を整地していた時に、石棺を発見した。石棺には宋の天聖5年(1027)に三蔵法師の頂骨が演化大師可政によって長安から南京にもたらされたことが記されていた。日中両国の専門家が調査の結果、玄奘三蔵法師の頂骨そのものであることが確認された。 日中の仏教徒が永遠に法師の遺徳を大切にしよう」という趣旨で分骨され、日本仏教徒代表の倉持秀峰氏に手渡されました。こうして霊骨は日本にもたらされた。 来日した霊骨は当初、仏教連合会の置かれていた東京、芝の増上寺に安置されたが、第二次世界大戦末期、空襲を避けて埼玉県蕨市の三学院に仮安置された。しかし、三学院も東京に近く、安全が計り難いということで、天台宗の寺院である さいたま市の慈恩寺に移された。 その後、遺骨は分骨され台湾と奈良の薬師寺に祀られ、現在に至っている。 |
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